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「中庸である」ということ

公開済み:2020-12-10
カテゴリー:
  1. 代表理事のブログ

「中庸」という言葉を耳にしたことはありますか?

これは孔子を始祖とする「儒教」において徳の概念を表す言葉と言われており、 孔子が最高の「徳」として説いた概念です。

「中庸」は 「かたよることのない『中』をもって道をなす」

すなわち 「どちらにもかたよらず、中正なこと」を意味します。

実はこの数日間、 ジェットコースター並みの出来事が振りかぶってきました。

数年前の自分には「一喜一憂」

この言葉がピッタリと当てはまるほど あらゆる感情に流されて、日々を過ごしていたのではないかなと思います。

 

そんな自分を、少しでも「中庸」に近づけたいと、この数年 常に心がけて過ごしていたことは「手放す」という行為

哀しい気持ちや、執着を「手放す」

嬉しい気持ちや期待する気持ちも「手放す」

「ポジティブな感情も手放す」 実はこれ、ネガティブな感情を手放す以上に難しいのです。

なぜ「嬉しい気持ち」まで手放す必要があるのか?

それは あまりにも嬉しい気持ちを大切にしすぎてしまうと それは「依存」に派生するのでは?と思うから

嬉しい、幸せだという喜びも 辛い、最悪だという哀しみも

決して長くは続かない

嬉しい時は、今この瞬間に感謝して噛みしめること

その出来事がもたらしてくれた幸運にしばし浸って味わったら そっと手放して、次に期待しない

哀しい時は、この地獄は永遠に続かないと知ること

その出来事を恨まずに 自分の成長のための過程なのだと受け入れること 悲しみの渦には飲み込まれない

失えばその分 新たに手に入れることができるけど

執着は、すればするほど 新しい変化はない

「中庸」であるために 今の自分が目指すのは「泰然自若(たいぜんじじゃく)」

これは、落ち着いていてどんなことにも動じない様子 全ての事象を恐れずに受け入れよう

「人生」とは、何があるかわからない領域

その未知の領域を手探りで進むために

人は知恵や学び、人脈というツールを手に入れながら 手探りでかき分けて行くのだ 失敗して当たり前

「諸行無常」 Everything Including Myself is Constantly Changing. Life is Impermanence.

永遠に続くものなど、何1つない そう考えれば、失うことを恐れる必要は何もない

全てを受け入れて、噛みしめて手放す そして新たな何かを受け入れる

それを繰り返しながら 人は一生を終えてゆくのではないかと思う

今ここにある、自分の中の様々な気持ちを味わったら しっかりと噛みしめて、手放そう

そして明日はまた、 新たな変化ある1日を、楽しむことができますように

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