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奄美大島レポ①「島民と生きる蘇鉄の木」ナリ、シンガイってなに?

公開済み:2018-11-04
カテゴリー:
  1. レポート
  2. 奄美大島レポ

2018年10月19日から3泊4日で奄美大島へ行ってきました

「ハートロック」と呼ばれる岩を見てきました。 この透明度!!

そこでご縁をいただいた女性より

「シンガイ」を送っていただきました!

手作りのミキ、きび砂糖の絞り汁、シン、炭を芭蕉でくるんで!

シンの団子ですね、色はグレー

では「シンガイ」とか「ナリ」ってなに?ということも含めて

レポートさせていただきます。

※「奄美ミキ」につきましても後日記載させていただきます

手作りのミキの現場もレポさせていただきました!続編書きます!

まずは奄美大島の歴史の話を少し…

島津家の支配下にあり、薩摩藩の管理下に置かれていた時代のこと

経済的不況や悪天候が重なり
作物は取れずに食糧難に陥り、米や麦も収穫できず
頼りの綱となるサツマイモもこの時期は悪天候や水利要因などで不作となります

しかし租税だけは変わらずに緩和することは一切ありませんでした

当時の年貢として、通常は米を収めたのですが

奄美大島だけは、土の質が米に向いていなかったため
代わりに「サトウキビ」を作らせそれを年貢として強制しました

見渡す限りのサトウキビ畑です

サトウキビはたとえ土壌が悪くても、陽当りさえ良ければ甘いサトウキビを育てられたといいます。
悪条件でも育てやすいということで、奄美の島民に作らせます。

黒糖焼酎蔵さんからの画像、すごい塊です

その後、1747年からは奄美の年貢は全て黒糖で納める事となり
江戸時代には島全員が黒糖関連の仕事に従事することとなります

サトウキビのために自分たちの食料を作る畑さえ与えられなかった島民は、
強い潮風が吹き付ける事からサトウキビの段々畑が作れなかった山に、6万本の蘇鉄を植えました

米もない
麦もない
芋もない
サトウキビは年貢に収めるとなると

そこやむなく
蘇鉄の実を、食べたのです

ちょうど実が出来ていました!

蘇鉄の実には猛毒があり、そのままでは食べることは出来ません

今はまだ成長中です

そこで蘇鉄の実を砕き、中心部分を発酵させた後、水に晒し、天日干しをするという作業を何度も繰り返し、毒抜きをして、ようやくデンプンを産出しました

こうしてようやく作り上げたデンプンをお粥にして飢えをしのいだのです

これを「ナリガイ」といいます

しかしそれでも食べるものがなくなると
実のない蘇鉄の木を切り落とし、
幹を剥いで、皮を洗い
発酵させて毒を抜き
柔らかくして水にさらしてわずかなでんぷんを見つけて食べることになります

それが「シン」です

おかゆにすると「シンガイ」です

蘇鉄の実を「ナリ」と言います

これは乾燥させた「ナリ」

「ナリ味噌」は、わずかな玄米と蘇鉄の実を合わせて麹にし

わずかな大豆を混ぜて作った味噌の事です

手作りの蘇鉄味噌、加工は一切なし

「ナリ」にはデンプンが多く含まれるので
少しの玄米と大豆でも、味噌になったのです

塩分を少なめにして、そのまま食べるような製法で
こちらの米味噌とは異なります

麹は、種麹を振るわけではなく
そのまま置いておくと、自然に発酵するそうです

ナリ味噌を作られている方のお宅に、お邪魔しました

実際にナリの実と

工房を見学させていただきました

そこで先生にいただいた一言

あなたたちは、味噌を作ると言うが

大変簡易に作っていると思う

我々はまず、山に入って、蘇鉄の実を取るところから始まり

それを計量して、乾燥させて

洗って、割って、中身を出して

発酵させて、毒を抜いて

それからようやく、糀作りを初めて

その糀が完成してから、ようやく味噌作りだよ

あなた方は、糀を買ってくるだろう?

我々奄美の島民は、米がなかったから

蘇鉄を加工して作るしかなかった

ハブのいる山へ入って、命を落とすものもたくさんいたよ

だから命がけだったんだ…

こちらは金作原、まるでジャングル

ナリの実は、味噌だけでなく

挽いて粉にして、団子も作るし、うどんにもなります

ナリ粉を混ぜたうどんとおかゆです

シンガイはもっと過酷で

実ではなく、幹なので

山へ入って切り倒して、それを降ろしてくる男手が必要になります

大変な苦労をして作りだすのに

シンガイはナリと比べて色も黒ずんで、味も美味しくないといいます

ナリより手間もかかるし、時間もかかる

送っていただいた「シン」

なので現代ではもう、シンガイを作って食べようという人はなくなってきているそうです
ということは
かつての製法で作れる人が、いなくなっているということ…

今回、宇検村教育委員会様へ私が伺っただけで

村にも、ほんの数人

友人に聞いただけでも、おそらく2人くらいではないかとのことでした。

奄美の島民は

命がけで食べるものを作り

蘇鉄はそんな島民の命を、救ってくれたのです。

奄美で絵葉書や美術品を見ると

「奄美パーク」併設の美術館

必ずどこかに蘇鉄が描かれています

奄美の島民と蘇鉄は、隣り合わせで生きている…

私はおから味噌を始めた時に

各地の味噌の特徴や歴史、背景を調べて学びました。

その時に一番印象深かったのがこの、蘇鉄味噌でした

「ナリ味噌」こちらの塩分は5%、そのままいただけるくらいの塩分です

猛毒を持った植物を、加工してまで食べなければならなかった
しかし今はもうほぼ、作られていない…

その壮絶な歴史背景に

打ちのめされました

そしてとても興味を持ちました

是非、この目で見てみたい…

飽食の時代に私たちができること

それはこのような歴史を学び
後世に伝えてゆくこと

おか再活研究所の理念は

「廃棄されるものに新たな息吹を」

是非、今後とも多くの生徒様へ

ここに書ききれなかった貴重な体験をお伝えできますように

今後とも、精進して行きたいと思っております。

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